論  説

いま磁性が面白い

Today there is nothing more interesting than magnetism.

佐藤勝昭 東京農工大学工学部

K.Sato, Tokyo Univ. of Agriculture and Technology, Faculty of Technology

 

今日の電子デバイスにおける半導体の中心的役割は1930年代にWilsonがバンド的描像にもとづく模型を提出したときに約束されたと言っても過言ではない。そして、それまで構造敏感で制御困難であった半導体が、40年代後半から50年代にかけての材料技術の進展、不純物添加による価電子制御の発見および少数キャリアの注入という概念を得たことが、今日の半導体産業の進展を支えてきたといえよう。

40-50年代の半導体の興隆期と同じくらい人をワクワクさせる興奮がいま磁性の世界で進行している。磁性の理論、特に、金属磁性体の理論は70年代にすでに大きな発展を遂げ完成の域に達していたが、理論の難解さも手伝ってその成果はアナリシスの段階にとどまり、シンセシスの次元にまで活かされずいた。ごく最近まで、物質の磁性の本質はいわば物質に作りつけで人類のコントロールの範囲にはなく、コントロールできるのは「技術磁化」と呼ばれるマクロの磁性のみであると信じられていたのである。ところが、80-90年代になって、半導体ナノテクノロジーの発展の波はついに磁性の世界にも押し寄せ、その成果として我々は磁性の起源である磁気モーメントの制御や交換相互作用の制御の手段までを手に入れようとしているのである。

技術磁化の制御技術としての磁性をマグネティクスと呼ぶならば、新たに展開しつつあるのは、スピンをマニピュレートする技術-スピンテクノロジーと呼ぶべきものである。さらにつけ加えるならば、「技術磁化」さえも磁区に含まれるスピンの数と磁壁に含まれるスピンの数が同程度となったときもはや従来のままの姿ではあり得ないのである。

具体的に述べるならば、Fertらによる巨大磁気抵抗効果の発見を導いた磁性/非磁性金属人工格子の研究は、非磁性層の厚さとともに振動的に変化する磁性層間相互作用の発見(Parkin)へとつながったが、これが可能になったのは1原子層オーダーの制御性をもって成膜できる技術があってこそであった。さらにこの現象がBrunoらによってRKKY相互作用に関連づけられるに至って、磁性の人工的な制御の可能性がにわかに現実味をもつようになってきた。

ナノテクノロジーがもたらしたもう一つの大発見は、磁性非磁性超薄膜におけるスピン依存・量子サイズ効果である。この効果は磁性/非磁性超構造においてHimpselのグループが逆光電子スペクトルに見いだしたもので、磁性層または非磁性層内に層厚に依存するとびとびの多数のエネルギー準位が生じるという現象である。これは、ある一方のスピンをもつ電子のみが磁性金属層内あるいは非磁性金属層内に量子閉じこめを受ける効果であると解釈され、多数スピン電子のバンドと少数スピンの電子のバンドが異なる禁制帯をもつことに起因するとして説明された。

同様の量子サイズ効果は磁気光学効果にも現れることがSuzukiらのAu/Fe/Auサンドイッチ膜の観測によって見いだされた。磁気光学効果の大きさは非磁性層厚変化に対しても振動的に変化する。この振動周期は、計算されたバンド構造から求められたk空間の「等エネルギー差面」における停留ベクトルを考えることによって説明されている。これまで、磁性はどちらかといえば、「局在電子」のイメージを使って説明されることが多かったのであるが、量子現象の発見によって初めて「バンド電子」による金属磁性の描像が応用磁気の世界に市民権を得たのではないだろうか。

磁性人工格子の層間相互作用に伝導電子が関与しており相互作用の符号が振動的で、振動周期が電子のフェルミ波数で決まるのであれば、非磁性層を半導体にすれば、キャリア数の制御を通じて磁気的相互作用も制御できるのではないか。実際、Fe/Si/Fe系でこのような観点に立った試みも行われている。

もう一つ注目したいのは、スピンの注入という新しいコンセプトが磁性に持ち込まれたことである。磁性体と非磁性体の界面を通して磁性体から非磁性体にスピンが注入されるということを提唱したのはJohnsonである。非磁性金属においては、平衡状態では上向きスピンと下向きスピンはバランスしているが、磁性体のフェルミ面にある電子が移動してくると、過渡状態ではその電子のスピンが逆むきのスピンより多く存在することになる。これがスピン注入された状態である。時間が経つとスピンフリップ散乱がおきて平衡に達するがその時間は10ns程度と長く、拡散長も170m m程度もあるという。従って2つの強磁性金属間の電流は両電極の磁化の相対角度に依存し、あたかも2つの偏光子を通過する光線のような現象が予測される。Johnsonが提案し、実験した強磁性電極をもつ3端子デバイスは増幅作用がないので実用価値は疑問であるが、スピン注入という新しいコンセプトを導入したことは高い評価を得ている。

もう一つナノテクノロジーが開きつつある新しいデバイスがスピン依存トンネル接合である。非常に薄い絶縁層を強磁性金属ではさんだ構造の強磁性金属/絶縁体/強磁性金属接合が大きな磁気抵抗比を示すことは、70年代にすでに報告があったが再現性が悪く信頼性に疑問符がついていた。本格的な研究が始まったのは、90年代に入ってからである。とくに最近になってMiyazakiらによって微小トンネル接合の作製がなされ、室温で18%におよぶ高い磁気抵抗比が報告されるにいたって、この効果がにわかに注目を集めることとなった。詳細は、本誌ですでに解説されているので省くが、微細加工技術によって、接合面積をm mオーダーとすることでより制御性を高める研究が進められており、磁気ヘッドやMRAM(磁気ランダムアクセスメモリ)への導入も計画されている。半導体メモリより遙かにシンプルな構造なので超高集積が期待されている。

私の専門分野である磁気光学においても、パラダイムシフトが起きつつある。それは、微小領域を対象とする近接場の磁気光学効果である。Solid immersion lens (SIL)を用いた近接場光磁気記録の出現は、これまでのハードディスク、光磁気ディスクの境界を一気に取り払ってしまった。磁気記録の高密度化が極限に近づきつつある今、熱揺らぎによる微小磁区の不安定化をカバーする意味で光磁気記録の利点は大きい。

最近、磁性に起きつつあるパラダイムシフトは数え上げればきりがない。いままで挙げたほかにも、極微小細線における量子磁気トンネル効果、磁性ドットにおけるスピン・ブロッケード現象など、いろいろのキーワードが湧き出るように氾濫している。これらの新しいコンセプトのうち本当に産業の発展にまで結びつくものはわずかかも知れないが、ナノテクノロジーによってもたらされた新しい基礎研究の萌芽こそが次世代の磁性に根本的なブレークスルーをもたらすことは間違いないであろう。

日本の基礎的な磁性研究者の数は非常に多い。磁性は日本では珍しく基礎研究の地下水脈のある科学分野である。ただ、残念なことには多くの基礎研究者が「応用」や「技術」といった部門からあまりにも遠いところに置かれていることである。応用磁気の研究者はこれらの基礎研究者にもっと積極的に働きかけ、ナノテクノロジーによって開かれた新しい磁性に関心をもって貰えるようにすべきであろう。応用磁気学会こそ、そのような場として最もふさわしいところであると確信している。